江戸初期の熱田新田干拓に伴ってできた百曲街道。
住宅街に残るくねくね道をたどりながら、土地の守護仏として建てられた観音堂や、見事なクロマツで知られる空雲寺などを見学します。

百曲街道とは?

江戸初期、尾張藩主・徳川義直の命により、堀川と庄内川の間の海岸線約4平方キロメートルを干拓し、熱田新田が開かれました。百曲街道は、新田の北側の干拓堤防に沿って自然にできた街道で、くねくねと曲がっていたことからその名で呼ばれるようになりました。

江戸末期から明治期には、名古屋の城下町と西南部をつなぐ産業道路の役割を果たしました。

1. 空雲寺(くううんじ)

寛文元(1661)年創建。新田開発の功労者であった鬼頭景義が開いたと伝えられており、境内には延宝4(1676)年建立の景義の墓碑があります。

本堂の前で堂々たる姿でそびえるクロマツも必見。樹齢は推定350年とされ、太い幹と横方向に広がる力強い枝に長い歴史を感じることができます。


▲名古屋市内最大級のクロマツ

2. 24番割観音

なぜか25、26~28番割観音堂よりも西に位置しています。住宅街の片隅にある、見過ごしてしまいそうに小さな観音堂ですが、引き戸ののぞき窓から観音像を垣間見ることができ、その温かいお顔に心が和みます。

番割観音とは?

熱田新田は、熱田神宮近くの1番割から西へ順に、33番割まで区画されました。今の熱田・港・中川区の「一番町」~「十一番町」という地名はその名残です。

各番割には、干拓の無事と土地の守護を願い、西国三十三所にちなんだ観音像がまつられました。現在はまとめてまつられている観音堂もありますが、地域の方々によって大切に守り継がれています。

毎月第3日曜8時から、1~33番割観音堂までの約10kmを歩く巡礼が行われています。この日はすべての観音堂の戸が開かれ、観音像を近くで拝むことができます。

3. 小碓(おうす)中央公園

芝生の真ん中に大きなケヤキの木とベンチがあり、ひと休みするには最適です。

4. 29・30・31・32・33番割観音堂

百曲街道の面影が残る細い道筋の途中に、5体の石仏をまつる観音堂があります


▲曲がりくねった道

5. 松蔭(まつかげ)公園

昭和12(1937)年開園。庄内川の川岸に位置しています。松林は開園前からあり、現在は周辺も含めて70本弱の松があります。

ウォーキングをもっと楽しみたい方のために、“+α”のコースをご紹介します。

百曲街道が終わったところで庄内川を渡り、かつては漁港だった下之一色をまわり、最後に松蔭公園に立ち寄ると、オススメコース(約4.5km)に約1.5kmを加えた健脚コースになります。

地図中、青色の線と青のポイントで表示させています。

下之一色魚市場

下之一色は、かつては活気のある漁港でした。江戸時代の書物でも、魚問屋、貝問屋が建ち並び、漁船は百隻を超えていたと書かれています。大正元(1912)年には、近代的な下之一色魚市場ができ、さらに賑わいを増しました。昭和30(1955)年代以降、漁業は行われなくなりましたが、下之一色魚市場は今でも営業しており、近隣の人々で賑わいます。早朝6時から9時くらいまでに行くと市場の活気をのぞくことができます。

  • 日曜休み(月によって水曜も休みになる場合があります)

下之一色観音堂(みよどめ観音)

干拓の最後になる堤防の締切りを「みよどめ(澪止め)」といいます。熱田新田の最後、33番割の工事にあたった鬼頭景義は、33番割観音堂(港区当知町)を造りました。その後、庄内川の道筋を変えたときに、この新川堤防に移されたといいます。

今までに掲載した「愛知県内ウォーキングコース」がご覧いただけます

※掲載内容は平成27年6月取材時のものです。