1214年秋、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が…。そして順徳天皇の皇女が病になったので、原因であるその光を弓で射落としたところ、野狐だった。
皇女の病がますます悪くなったので、この野狐の祟りを慰めるため稲荷社祀ったところその病は治りすっかり元気になった。
そして稲荷社は 野狐を射落とした弓弦を御神体として、弓弦天神と称された。

時は下り、江戸時代(1690年)に江戸亀戸天神の別当職、菅原信祐が太宰府から江戸へ向かう途中、岡崎本陣宿で菅原道真公が夢枕に立ち、「この岡崎に良い社があるゆえ私をそこに勧進しなさい」と言葉を残した。そこでこの弓弦天神の社殿を一新し、岡崎天満宮と改名し現在に至るそうだ。

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