名古屋城下と犬山を結ぶ稲置(いなぎ)街道。
街道沿いには神社やお地蔵さんが点在し、意外な物語や謂れが伝わっています。
味鋺(あじま)の辺りには古墳もあり、古代から江戸、現代と長い歴史を感じながら歩くことができます。
尾張藩主の名古屋城と尾張藩家老・成瀬家が城主であった犬山城を結ぶ稲置街道は、政治的・軍事的にも重要な道路だった。当時、犬山の地が「稲木」または「稲置」と呼ばれたことから、その名が付いたといわれる。
街道沿いには立派な寺社のみならず、庶民が大切にしてきた小さな神社や地蔵などもあちこちに見られる。街道のルートは、尾張藩が参勤交代にも使った公道「上街道(うわかいどう)」と重なる部分が多い。
1. 二子山公園(ふたごやまこうえん)
国指定の史跡である二子山古墳などに囲まれた歴史公園。円墳をイメージした「ハニワの館」では埴輪の展示などを楽しめます。園内には、芝生や小川、散歩道、遊具などが整備され、ウォーキングやジョギングを楽しむ方にも多く利用されています。 ・ハニワの館 |
2. 首切地蔵(身代り地蔵)
首とお腹の辺りに接合の痕があるお地蔵さんは、かつて過失から武士に手討ちにされた娘の身代わりになったと伝えられています。助かった娘は働き者で、日ごろから地蔵への信心が厚かったそうです。地蔵は痛ましい姿ですが、やさしい表情に見えます。 |
3.味鋺神社(あじまじんじゃ)
創建年は不詳ですが、平安時代の文献『延喜式(えんぎしき)』にも格の高い神社として記載がある古い神社。境内には、加藤清正が神社近くの稲置街道に架けた石橋(清正橋)が移築されています。また、枝ぶりの見事な夫婦椿があり、縁結びの願掛けで訪れる人も多いそうです。 |
清正橋 |
4. ふれあい橋
ふれあい橋からのながめ |
1993年、矢田川と庄内川に架けられた人道橋。江戸時代には、尾張藩の軍略上、橋がなく味鋺の渡しがあったそうです。風が心地よく、市街地の近くでありながら自然を感じることができます。 |
5.児子宮(八幡社)(ちごのみや)
古くから子どもの虫封じ(かんの虫封じや病気除け)の神事が行われ、尾張藩主も代々、幼少時に虫封じをさずかったそうです。地元では児子宮の名前で親しまれています。楠の巨木もあり、今でも子どもたちの成長を見守ってくれているように感じられます。 |
稲置街道沿いで江戸時代から続いていた銘酒白龍の蔵元の和食店。蔵元は閉鎖されましたが、和食店では酒造で使用した酒樽を活用した樽部屋が人気。底板の厚さ15cm・側壁の厚さ4cmの吉野杉を使った貴重な樽でいただく食事は味わい深い。
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ウォーキングをもっと楽しみたい方のために、“+α”のコースをご紹介します。
ゴールの名鉄瀬戸線・清水駅から名古屋市営地下鉄・市役所駅まで歩くと約6.5kmのコースが約8.3kmのコースになります。
途中には七尾天神社があり、国の重要文化財である市政資料館に寄り道します。
ゴールを名鉄瀬戸線沿線にしたい場合は、稲置街道起点の成瀬家の屋敷跡(現・愛知県立明和高校)を通り、東大手駅までがおススメ。
地図中、青色の線と青のポイントで表示させています。
七尾天神社(ななおてんじんじゃ)
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16世紀の初め、七つの尾を持った亀が菅原道真(すがわらのみちざね)の木像を背負って現れたという由緒があります。後に尾張藩家老成瀬家の祈願所となりました。境内の霊亀の背に水を七回かけると、学問成就し、願い事がかなうと言い伝えられています。 |
名古屋市市政資料館(なごやししせいしりょうかん)
1922年に名古屋控訴院(こうそいん)、地方裁判所等の庁舎として建設されました。レンガ造りの外観に加え、ステンドグラスや大理石の柱など内部も重厚な造り。国の重要文化財。NHK「坂の上の雲」など、テレビや映画のロケ地として度々使用されています。
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