古くから物づくりが盛んな知多半島と名古屋を結んだ常滑街道。
幾筋かの街道の分岐点となった大高の地を歩き、ヤマトタケルの世界から戦国時代のハイライトまで、歴史のロマンをたどりました。
知多半島は、古くから漁業とともに、常滑焼・酒や酢などの醸造・木綿など物づくりも盛んな地でした。伊勢湾の往来や、江戸へ物を運ぶ海上交通の他、名古屋に続く陸上交通も発達。常滑街道は名古屋と知多半島を結ぶ要の道の一つでした。
常滑街道の名古屋側の起点、知多半島の付け根にあたる地域は、伊勢湾を望む要衝でした。鳴海・大高の地は桶狭間の戦いの舞台。信長・秀吉・家康時代が幕を開けた戦国時代のハイライトとも言える場所です。また、熱田神宮の元宮とされる氷上姉子神社など、神話の世界も息づいています。
1. 大高城跡(おおだかじょうあと)
室町時代末期に築城されたと言われる大高城。桶狭間の戦いの前哨戦では、当時、今川義元の配下であった徳川家康(当時は松平元康)が兵糧をかき集めて届けたことでも有名。今川方が破れ、後に家康は信長と同盟して躍進していきます。現在は、土塁などが残り、国指定史跡の公園として整備されています。小高い丘には草地が広がり、気持ちよくウォーキングできます。 | ▲現在は土塁などが残る公園となっています |
2. 氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)
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熱田神宮のルーツとされ、日本武尊(やまとたけるのみこと)の妃となった宮簀媛命(みやすひめのみこと)を祭る神社。195年、媛(ひめ)の父で、尾張国造であった乎止与命(おとよのみこと)の館の跡地(「火上山の元宮」の地)に創建され、690年に現在の地へ移されました。歴史を感じさせる立派な尾張造の本殿が印象的です。 |
3. 火上山元宮(ひかみやまのもとみや)
「氷上姉子神社」の元宮と宮簀媛命の居宅跡の石碑があります。日本武尊は、宮簀媛と婚約して東征に赴き、帰路、媛と夫婦の契りを結びました。しばらく媛の元に滞在し、伊吹山へ神の討伐に行く際に草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を媛に預けました。まさにここが熱田神宮の始まりの地と言えるでしょう。木々が生い繁る静かな山道を、神話の世界を想像しながら登ることができます。 |
▲熱田神宮のルーツがここにあります |
4. 寝覚めの里の碑(ねざめのさとのひ)
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石碑は、明治43年に熱田神宮宮司・角田忠行氏が建立し、後に移築されたもの。かつては海辺の地でした。日本武尊が火上山で宮簀媛命と短い新婚時代を過ごした際に、寄せては返す波音で寝覚めたことから、後年「寝覚の里」と呼んだと伝えられます。石碑は会社や住宅が建ち並ぶ場所に、木に囲まれてひっそりと立っています。 |
東海市の景観賞を受賞した建築。天井が高く落ち着いた雰囲気の中で飲むコーヒーは、高品質のトアルコトラジャ。ランチ、ディナーは手頃なセットがあり、午後には飲み物に手作りデザートなどが付くサービスも。ウォーキングの疲れが癒やされ、元気になれるお店です。
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ウォーキングをもっと楽しみたい方のために、“+α”のコースをご紹介します。
JR大高駅から名鉄名和駅までのコースに、名鉄鳴海駅からJR大高駅までのコースをプラスすると、約5kmのコースが約7kmのコースになります。
地図中、青色の線と青のポイントで表示させています。
鳴海八幡宮(なるみはちまんぐう)
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創建は不明とされるが、貞永元年(1232年)に、現在も続く久野家の初代が神職となった記録があるという。ご神木の大楠は樹齢1000~1200年と推定され、大切に守られている。秋の例大祭(鳴海表方祭)では五台の山車や猩々(しょうじょう)、神輿などが旧東海道を練り歩きにぎわう。 |
鷲津砦公園(わしづとりでこうえん)
鷲津砦は、隣にある丸根砦とともに織田信長によって築かれ、桶狭間の戦いの前哨戦が行われた。砦は今川方によって陥落したが、同日午後、信長の奇襲により今川義元は戦死。桶狭間の戦いは織田軍の勝利に終わった。現在は、大高城、丸根砦とともに国の史跡公園に指定されている。 |
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