尾張藩の要職を務める有能な武士でありながら、晩年はその地位を捨て、風流人として生きることを選んだ也有。

俳人としても優れた才能を発揮し、人々に慕われた也有の句には、自然を愛し、自らの生き方を見つめる姿が表れているようです。

1702年、尾張藩代々の重臣であった横井家に生まれる。若いころから武芸に励み、和漢の学を修め、絵・琵琶・歌の道にも堪能という多芸多才な武士であった。藩の要職を歴任した也有であったが、堅苦しい武士の生活を送るうち、「地位や収入より、さまざまな身分の人と気軽に話し合い、俳句や絵に親しむ暮らしが本当の自分の生き方ではないか」との思いが強くなり、53歳のとき、病を理由に役目を退いた。

隠居してからは、俳句や狂歌を作りながら町人や百姓とも親しく交わり、生活の中に楽しみを見いだすことを教えて人々から慕われた。82歳で生涯を終えた後、弟子たちが也有の俳文を編集し、代表作『鶉衣(うずらごろも)』が発行された。

也有園(東山動植物園内)

也有の遺徳をしのんで、東山動植物園内に設けられた日本庭園。也有の文学にゆかりの植物が植えられ、それにちなんだ50の句が添えられています。

句を見つけては立ち止まり、読み上げたり、その意味に思いを巡らせたりと、自然の中の文学散策が楽しめます。

東山動植物園
休園日 月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始
電 話 052-782-2111
入園料 大人(高校生以上)500円

 

 

 

中学生以下は無料

ホームページ http://www.higashiyama.city.nagoya.jp/

也有蘿塚

(名古屋市中区橘 1-14-37)

 

 

 

也有が晩年をともに過ごした石原 文樵(ぶんしょう)が、その恩義に報いるために長栄寺境内に建立した塚。也有の髪と爪が埋められ、青蘿(あおかずら)が植えられています。

横井也有翁隠棲之址

(名古屋市中区上前津1-15)

 

 

 

武士としての役を退いた也有が隠 居した地。当時は「不二見が原」と呼ばれる草原が広がっていたそうです。

天気の良い日には富士山も見えた といわれる地で、也有は移り変わる自然の美しさを俳句や絵に表しました。

名古屋三俳人句碑

名古屋ゆかりの俳人、加藤暁台(きょうだい)、井上士朗らの句とともに、也有の句が刻まれています。 句碑はテレビ塔の足元にあります。