三河湾で取れた塩を信州に運ぶ中継地として栄えた中馬街道。
今でも白壁の商家が並び、美しい歴史的な町並みを見せてくれます。
川のせせらぎを聞きながら、ゆっくりと趣のある街道を歩くことができます。
名古屋・岡崎方面から足助を経由して信州へ通じる道は「中馬街道」または「塩の道」と呼ばれ、三河湾で取れた塩などを信州へと運ぶ主要な道だった。足助宿では、塩などを量り直し、山道を運びやすいように小分けして馬の背に積み替えた。馬を使ってものを運ぶ信州の同業組合を「中馬」と呼んだ。
江戸時代から明治時代にかけて、足助の町は宿場町・商業地として繁栄した。明治44(1911)年に国鉄中央本線が開通すると物流拠点の性格は薄れたが、この地方の中心地として栄え、今も白壁の商家などの町並みが残る。
●中馬のおひなさん
2月上旬~3月上旬に、足助交流館、中馬館などに、土びな・衣装びな・ひな祭りの道具などが展示されます。町中にさまざまな年代のおひなさんが飾られ、多くの人が見物に訪れます。
1. マンリン小路(こうじ)
白壁の建物が並ぶ足助の町並みのなかでも、最も美しいと言われるのがマンリン小路。黒い板壁と白い漆喰の壁の土蔵が、狭い坂道を挟んで両側に並んでいます。景観を保つ努力も感じられます。 |
2. 豊田市足助中馬館(あすけちゅうまかん)
白壁が立派な旧稲橋銀行足助支店の建物を利用して、中馬街道の交通や商業、金融、町並みなどの資料を展示しています。塩を量った升や秤、馬具など、塩の道らしい資料もあります。建物の金庫の壁はたいへん分厚いものとなっています。
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3.三州足助屋敷(さんしゅうあすけやしき)
茅葺き屋根の母屋や土蔵など、農家の家屋を再現・新築し、明治から昭和30年頃のしたたかな山里の暮らしを提案する生きた民俗資料館。鍛冶や竹細工、機織りなどの手仕事を見学することができ、一部体験コーナーもあります。
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4. 足助八幡宮(あすけはちまんぐう)
約1300年前の創建とされ、本殿は室町時代に建てられた国の重要文化財。豪壮な山車と火縄銃で知られる「足助まつり」は秋の例大祭。足の守り神としての霊験も伝えられ、足の健康や旅の安全を祈願する人も多い。 |
宿泊、フレンチレストラン、喫茶、足助ハムのZiZi工房、ベーカリーバーバラはうす、日帰り入浴などの観光施設の他、介護デイサービス施設も兼ね備え、福祉と観光をミックスさせた新しい形の施設です。
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ウォーキングをもっと楽しみたい方のために、“+α”のコースをご紹介します。
三州足助屋敷から香積寺を経て、飯盛山に登れば、約3.3kmのコースが約4.3kmのコースになります。
地図中、青色の線と青のポイントで表示させています。
香積寺(こうじゃくじ)
1427年に建てられた曹洞宗の古刹で、山号は飯盛山(はんせいざん)。滅亡した足助氏の菩提を弔うために建立されました。1634年頃から11世の住職三栄和尚が、楓などを参道に植え始めたことが、現在の紅葉の名所・香嵐渓のはじまりだと言われています。 |
飯盛山(いいもりやま)
治承年間(1177~1180年)の頃に足助重長によって建てられた居城・飯盛山城があった。香積寺の裏の登り口から約20分で山頂(254m)に登ることができます。山頂手前には経典を埋めた経塚(きょうづか)があります。 | |
山頂手前の経塚 |
飯盛山山頂から見下ろす足助の町並み |
カタクリの花群落
飯盛山の北西斜面にカタクリの群生地があり、3月の下旬から4月上旬にピンク色の可憐な花を見ることができます。 |