東海道の宮宿と中山道の垂井宿を結んだ美濃路(みのじ)。
江戸時代には大名や朝鮮通信使も通る重要な道でした。
西枇杷島は市場町として賑わい、天下の名城とうたわれた清洲城の城下町は大変栄えたそう。
戦国時代の歴史に思いを馳せながら歩くと、より楽しむことができます。
美濃路は美濃街道とも呼ばれ、江戸時代に東海道の宮宿から中山道の垂井宿まで14里余りを結んだ脇往還。境川・木曽川・長良川・揖斐川は渡し船を利用したが、宮宿から桑名宿の海路を行く東海道の難所「七里の渡し」を避けることができ、多くの旅人に利用された。
1600年の関ヶ原の戦いでは、東軍の先鋒・福島正則がこの道を西に進み、さらに勝利を収めた徳川家康が凱旋したことから、江戸時代には吉例街道(きちれいかいどう)とも呼ばれた。東国大名の上洛や西国大名の参勤交代、朝鮮通信使なども通った重要な街道であった。
1. 問屋記念館(とんやきねんかん)
西枇杷島の「下小田井の市」は、江戸の神田、大阪の天満と並ぶ日本三大市場の一つで、尾張一円の農家と城下の八百屋が集まるにぎやかな市場町だったそうです。 開館時間:10:00~16:00(入館は15:30まで) |
2. 日吉神社(ひよしじんじゃ)
古くから山王(山の神)を祀り、人々の信仰を集めてきました。境内には山の神の使いとされる申(猿)の神像や巨大絵馬などがあります。豊臣秀吉の母がこの神社に祈願し、秀吉を授かったので、秀吉の幼名を日吉丸と名付けたという話が伝わっています。 |
3. 清洲城(きよすじょう)
1555年、織田信長が那古野城(なごやじょう)から入城し、天下取りの出発点となった城。天下の名城と讃えられ、城下町は6万の人口を誇って栄えました。現在の「清洲城天主閣」は平成元年に築城されたもの。最上階(4階)からの眺めは最高です。 開館時間:9:00~16:30(清洲城天主閣) |
4. 清洲古城跡公園・清洲公園
かつて清洲城があった場所は、清洲古城跡公園として整備されています。また、清洲公園には、織田信長の銅像が桶狭間の方向を見据えて立っています。両公園内と五条川沿いには遊歩道も整備され、とても気持ちよく歩くことができます。 |
仕込みや発酵、缶・びん詰めなど、ビールの製造工程を特殊映像などによって体感しながら見学できる施設。館内のレストラン「ブルワーズハウス」では地産地消メニューと工場直送の樽生ビールを味わえる。
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ウォーキングをもっと楽しみたい方のために、“+α”のコースをご紹介します。
ゴールの名鉄名古屋本線・新清洲駅から名古屋市営地下鉄・浅間町駅まで歩くと約6.4kmのコースが約9.0kmのコースになります。
地図中、青色の線と青のポイントで表示させています。
八幡社(はちまんしゃ)
1529年創建で別名、鷹八幡(たかはちまん)。鷹の病気への霊験があり、鷹を飼っている人の信仰は特に厚く、鷹狩りで美濃路を通る歴代の尾張藩主も深く敬ったそうです。社殿には見事な彫刻が施され、今にも飛び出しそうな龍や鳥の姿が目を引きます。 |
白山神社(はくさんじんじゃ)
織田信長が桶狭間の合戦の戦勝祈願のため、太刀一口を寄贈したといわれます。美濃路を通る大名は必ずこの神社を参拝したといわれます。神社付近は宿と宿の中間「立て場」で、茶店などが設けられていました。 |