知多半島の付け根に位置する東浦町。
徳川家康の母・於大(おだい)生誕の地である緒川城址をはじめ、街道周辺は貴重な史跡の宝庫です。
黒板塀が残る落ち着いた町並みを歩きながら、乱世に思いを馳せます。
知多半島は西海岸を西浦、東海岸を東浦といいます。それぞれの集落間は海上交通が盛んでしたが、名古屋とのつながりが強まるにつれ陸路も発達。公用道ではなかったため、時代とともにいろいろな名で呼ばれました。
東浦を通り知多半島先端の師崎に行く道は「師崎街道」、大高から東浦を通り、刈谷を経て大浜港(碧南市)に至る道は「大浜街道」とされていたようです(『尾張志』〈1844年〉など)。そのほか、「東浦街道」、知多四国八十八ケ所霊場を巡る道として「弘法道」と呼ばれる部分もあります。
1. 村木砦址(とりであと)〈八釼神社内〉
今川義元が、天下統一を志し、尾張に勢力を伸ばそうと築いた砦。対する緒川城主・水野信元は織田信長に援軍を要請し、両軍がぶつかり合ったのが村木砦の戦い(1554年)です。信長は初めて鉄砲を使用して勝利し、6年後の桶狭間の戦いに勝つ契機を掴みました。 |
2. 村木神社
村木砦の戦いで織田信長が本陣を置いた場所。砦を見下ろす高台にあります。秋の祭礼では、境内に放たれた馬に若者が飛びついて伴走する「おまんと」が盛大に行われます。 |
3. 入海(いりみ)貝塚〈入海神社内〉
入海神社内にある縄文早期末(約7千年前)の貝塚。出土した土器は入海式土器と呼ばれています。国指定文化財。 ▲入海神社 |
4. 緒川城址(おがわじょうし)
15世紀後半に築城された水野氏の居城。家康の生母・於大の方は、四代目城主・忠政の娘としてここで生まれました。現在は、住宅地の一角に土塁の一部が残るのみです。町指定文化財。 |
5. 於大公園
ゆるやかな起伏のある広大な園内を歩けば、四季折々の花と緑、野鳥に出会えます。無料で楽しめる薬木薬草園・遊具広場などのほか、有料のマレットゴルフ場・バーベキュー広場・サイクル広場などが整備されています。
▲於大公園このはな館 |
6. 宇宙山乾坤院(けんこんいん)
緒川城初代城主・水野貞守が一族の菩提寺として創建した曹洞宗の別格寺院。水野家四代の墓所や、歴代の位牌を祀った堅雄堂などがあります。 |
戦後すぐの創業以来、地元から愛され続ける鶏肉専門店。揚げたてのチキンカツ(60円)や串カツ(50円)などを時間限定で販売する。
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ウォーキングをもっと楽しみたい方のために、“+α”のコースをご紹介します。
オススメコース中「於大のみち」の途中から分かれて、JR東海武豊線・石浜駅までの約2.5kmを追加すると、約6.6kmのコースが約7.8kmになります。
地図中、青色の線と青色のポイントで表示させています。
東浦町郷土資料館(うのはな館)
入海貝塚などの貝塚や古窯からの出土遺物、古代の塩づくり、水野氏と於大の方の3つをテーマに常設展示を行っています。また企画展や歴史講座、陶芸教室なども随時開催しています。
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明徳寺(みょうとくじ)
浄土宗、知多四国八十八ケ所霊場第9番札所で文明年間(1469~1487年)創建と伝えられます。開山は心誉秀山上人。元々は明徳寺川岸にありましたが、水害で流出したため現在地に再建されました。明徳寺を含め、東浦町内には7番札所から11番札所までの5ケ所の札所があります。 |
稲荷神社
天文6(1537)年、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)を建立したと伝えられます。正徳6(1716)年には境内に稲荷神社を勧請(かんじょう)。昭和の頃から稲荷神社が中心となりました。境内には竹内清兵衛翁碑、石浜植林之碑など多数の碑があり、地域の歴史、文化を物語る中心地となっています。平成24(2012)年には住民200名の寄付により神馬像が再建されました。 ▲稲荷神社神馬像 |
今までに掲載した「愛知県内ウォーキングコース」がご覧いただけます
※掲載内容は平成27年2月取材時のものです。